再開の報告と自己紹介(経歴や使用デッキなど)
お久しぶりです。はじめましての方もおられるかと思います。
タイトルの通りブログを再開するのでその挨拶でした。
ブログを更新していなかった理由は実生活の都合だったり、そもそも書きたい事柄がなかったりなど色々ありました。また書きたいとは思っていて、最近デュエマヴァンガードについて書きたいことができたこともあり、自分への負担が少ない書き方なら更新していけるのではないかと思い再開してみることにしました。
そういうわけで、当面はデュエマアニメやヴァンガードの記事を書いていく予定です。
・自己紹介
更新していなかった期間も長いですし、今回初めてこのブログを訪れた方もおられると思うので、簡単に自己紹介をしてこの記事は締めたいと思います。
デュエマは初期からやっていますが、大会にはあまり出ません。アニメ漫画のファンなので、このブログでもアニメ感想記事として扱うのが主になると思います。
ヴァンガードも初期から。Dスタンを最近始めて修行中です。大会にも出ています。なのでどちらかというとカードについての記事が主になると思います。アニメなども愛好しているので、何か書く可能性はあります。現在ドレスシリーズを少しずつ見ています。
ニチアサ勢です。特に仮面ライダーが好きなので扱う場合もあります。とはいえ最近は「これの記事なんて批判しか言えねぇな…」と思うことも多く(笑)
感想系の記事はそういった場合は記事にしないので、更新にムラがあるかもです。
というわけでブログ再開の報告でした。昔から愛好してくれている方、はじめましての方、色未熟な筆者ですが今後ともよろしくお願いします。
最後にツイッターアカウントを貼っておきます。フォローいただけると嬉しいです。
では、ありがとうございました!また次回!
仮面ライダーゼロワン 第1話 感想 [異形ではなく人智の結晶!それがゼロワンだ!!]
どうもせんりです(https://twitter.com/zanzan04)
ついに……令和になったんですねー(しみじみ)
そんな訳で始まりました!令和ライダーの1号、ゼロワン!!
当ブログでもその活躍を追っていきます。目指せ毎週更新!で頑張ってきます。よろしくお願いしますー!
- 率直に思ったこと
めちゃくちゃ完成度たけーっっ!!!!!!
すごかったですね。めっちゃ驚いてます。
脚本は「エグゼイド」の高橋悠也さん。パイロット役は杉原輝昭監督ということで。なのでハイテンポでド派手な1話を期待してた訳ですが、それをはるかに超えてきました。「こんなのが見たかったんだよ!」と思いつつ驚きもある。物語を見てて気持ちいいのってこういう瞬間だよなあって。
一番驚いたのは話の完成度の高さ。説明をこなしながらも、この第1話だけで一つの物語として完結させている。なんとも見事でした。
- 飛電或人
「人の夢ってのはな!検索すれば分かるような、そんな単純なものじゃねぇんだよ!」
今回、彼の夢を実現する手段が芸人からゼロワンに変わっていく様子が描かれました。僕はこれがすごい好きだった。
夢を諦めるのではなくその姿を変える。そう、夢の形ってひとつじゃない。
でも或人が当初の形の夢を挫折したのも確か。だからこそ、他の夢を追う人に本当の意味で寄り添うことができる。手を差し伸べることができる。これはまぎれもなくヒーローの姿だ。ヒーローの誕生を描ききっているのだ。
そしてそれが彼自身の夢になった。変容を遂げながら、挫折を味わいながら、それでも「人を笑顔にする」という夢は終わらなかった。
この複雑な行程こそが夢というものの深さを示している。検索するだけじゃ分からない!という叫びの意味がこの1話の中で綺麗に描かれている。この完成度の高さに感服しました。
- ゼロワンとヒューマギア
本作のコンセプトの面白いと思うところは、主人公側も敵側も人工物で戦っているという点です。現状では、物語の中には人間が作ったものしか存在していない。
仮面ライダーって異形の存在の敵がいて主人公は敵と同じ由来の力を使って立ち向かう!っていうのが大まかなセオリーだった。
けどダブルで「怪人とは人間の悪意の具現化かもしれない」という可能性が提示され、ライダーのセオリーは幅を広めていった。人間の内面にドラマの方向を向けるという作劇がやりやすくなった。
そして今回、ついに力の出所が全部一箇所にまとめられた。主人公の祖父の是之助です。
人間とヒューマギアの関係もとても面白く描かれていた。ヒューマギアはそれ自体は「良いもの」とされているのが良かったです。イベント職員のヒューマギアが怪人に躊躇なく摑みかかるとこが印象的だった。ああいう勇気あることは人間だと難しいよなあと思って。
主人公の役割を腹筋崩壊太郎が持ってくことで「人間はヒューマギアより偉い」みたいな価値観が無いことも分かります。でも腹筋崩壊太郎の末路について誰も気にしない辺り、やはり人間にとっては「所詮ロボット」でもあるっぽいという、絶妙な関係。それが想像を掻き立てます。どう転ぶか分からない。
結局何が言いたいかと言うと、なんでもござれ状態なんですよねこれ。力の由来がひとつならそれをどうするかは人間の意思、つまり人間の悪意にドラマを向けることができる。AIを異種族とすれば異種族間の交流を描くこともできる。過去のライダーがやってきたドラマの美味しい部分を全部取りしてるんですよね。この貪欲な姿勢が好きなんですね。ライダーらしいっていうか。
でも過去に追随する訳じゃない。それがゼロワン変身までのくだりに出ていたと思う。これまでノリでやってきた変身の手順を、今回チュートリアルで説明というくだりを入れてきた。これは「異形」からの脱却を象徴していると思う。人による完全なる制御によってなる力なのだと示されている。そう感じました。
でもその制御をすべき本来の支配者は故人になった。力は野に放たれ、支配者の座を継ぐのは無知な或人。こんな鮮やかにヤバい状況を作られると、もう感嘆するしかない。今がカオスの最先端、つまり最高に面白い瞬間。そんな瞬間を全力で提供してきている。この姿に僕は作劇の進化を感じます。
過去に囚われず、でも過去を愛して、良い未来を作っていこう。それがジオウの本懐だと前回述べました(仮面ライダージオウ最終話 感想・考察 [ジオウは何と戦い、何に勝ったのか] - ヴァーチャルの熱血遊び日記)
ゼロワンはジオウが示したそんな姿勢を継承していると感じた。ジオウファンとして、それが何より嬉しかったです。
- 支配人
脚本の高橋さんですが、エグゼイドで思ったのがゲストの扱いがけっこう淡白ってことで。描写が最低限ギリギリなんですよね。高橋さんはこの「最低限」を見極めるのがめちゃくちゃ上手いよなあと思ってて。それによって確保された尺で衝撃的な出来事を可能な限り起こし楽しませる、それが高橋さんの脚本の美点だと思ってます。
と、頭では理解してるつもりだけど、それでも、ゲストに関してはちょっと寂しいなと感じてて。そこが懸念点でした。
でも今回はそれがクリアされていました。
或人と支配人の間には「夢」という共通点があった。それでもう十分なんですよね。だから使命なんか無くても或人は支配人を助けるし、支配人も或人に感謝する。そして夢は終わらない。
「夢」という人の心を強く動かすファクターを使うことで描写を短く端的にもできるから、高橋さんの脚本の美点も活かせている。
まだ1話なので時期尚早な感じもしますが(笑)
「夢」をテーマにする意義は確かにあったなと、この1話で思うんですね。
- アクション
妖怪ボタンむしり「これが俺の遊び心だ!」
うん、遊び心あったなあと。バスの止まりますはなんかもう遊び心の塊みたいなシーンだし。
途中までずっとハイテクっぽくやってたのにクライマックスで画面を占拠する「ライジングインパクト」はもうダメだった。あんなデカいカタカナ笑う。ライダーらしい緩急だなあと。
バトルはバッタvsカマキリだったわけですが、それに相応しい躍動感あふれるバトルだったと思います。ゼロワンはピョンピョン跳ねるし敵の刃は鋭い。見てて楽しいアクションだった。
敵が緑というのも自分的には良かったかな。黄色vs緑っていうのが。画面が鮮やかっていうか、清涼感があったと思う。ていうか敵が単純にカッコよかったなあ。
スーツアクターがゼロワンを持って高岩成二さんから縄田雄哉さんに変わりましたね。
で、佇まいなんですが、うん、全然違う。これまでの主役ライダーとは全く違いますね。高岩さんはどっしりとしてて攻撃が重い感じで、それがまたヒーローらしい堂々さだったけど。縄田さんは動きが滑らかだし、すごい細い印象で、綺麗に対照的ですね。これはこれから見ていくのが楽しみですね!
- AIMSのみんな
え、唯阿ちゃんが部隊仕切ってんの!?
唯阿は技術顧問ってことなんで。だから唯阿の立ち位置としては、武装に関しての権限は高いけど、実際の戦闘においては不破たちの方が上だからちょっと軽く見られてる、って感じなのかな多分。
いずれにしても、下の人に軽く見られてる女上司か…‥子供に変な性癖植え付けなければいいけど(ポッピーを見ながら)
あ、自分は唯阿ちゃんめっちゃ良いと思います!!
あとどうでもいいっちゃいいけど、不破が仲間が連射してる前を横切るシーンがあって。あれ弾丸当たりまくってるよなあと思った。
- 最後に
「あの人演技上手かったな……えっと、大嶋さん」
「児嶋だよ!!!」
意外に演技派な児嶋さん演じる福添准(改めて見ると社長になれない感すごい名前だな)
彼も彼で心中穏やかじゃないっていうか割と普通に主人公の敵になりそうなので、その動向も必見ですね。児嶋さんは昔から結構好きなので、そこも楽しみですね。
というわけで、今回はこんな感じで。ゼロワン、とても面白かったですね。次回も楽しみです!
あ、ジオウの記事も書いてたので、ジオウの整理をしたい!という方は良ければ!
では、お読みいただき、ありがとうございましたー!
[おすすめの記事はこちら!]
仮面ライダージオウ最終話 感想・考察 [ジオウは何と戦い、何に勝ったのか]
どうもせんりです(https://twitter.com/zanzan04)
仮面ライダージオウが最終回を迎えたということで。いやー、平成って終わったんだなーって(ほんとはとっくに終わってる)
この最終回を見ての率直な感想は「む、難しいぞこれ……」でした(笑)
今はめっちゃ最高だったと思ってますが。
タイトルにもしましたが、ジオウって全体的に「何と戦ってるのか」「何がどうなれば終わる話なのか」が分かりにくいと思ってて。スウォルツを倒すのが目的になったのも最後の最後の話ですしね。
また、ジオウは20年アニバーサリー作品なので特別な役割を課せられていたと思うのですが、作中では明言されず。この点については考察が必須かなと感じた。
上記の不明点については最終回を何度か見るうちに少しずつ答えみたいなのが浮かんできたので、今回はそれを書いていきます!
- ジオウの戦いとは
結論から言うと「過去とどう向き合うか」を示す戦いだったと思う。
ジオウ本編に出てくる「敵」をざっと挙げると「スウォルツ」「ウールとオーラ」「オーマジオウ」ですが、最終的にスウォルツ以外はソウゴに受け入れられてます。この線引きを決定づけてるのが、それぞれの未来と過去へのスタンスの違いだと感じた。
まずウールとオーラですが。ソウゴはウールに「なぜ自分を受け入れる?」と問われた時、「民を傷つけたことは許さない。けど君たちなりに未来を作ろうとしていたのは分かる」と答えています。これがまさに答えのひとつかな。行動の良し悪しとはまた別の基準がソウゴの中にあることが伺い知れます。それが未来へ向かう行いであるかどうか。それが大事なのだと。
つまりウールオーラは「未来」に向かってはいた。
次にオーマジオウですが彼がまた難しく、最終回を見てる当時はここで頭をひねってました。そんなとき白倉Pの声明を見かけ、いろいろ腑に落ちた次第です。
声明の内容をざっくり言うと「オーマジオウは墓守である。過去を理想化することは現在をおとしめ未来を否定すること。だからオーマジオウはサイテーサイアクなのだ」ということ。
オーマジオウが君臨していた未来が荒廃していたのはこのことの暗喩だったように思います。彼は未来を作れる存在ではなかった。ゲイツたちも彼の気持ちが分からないし従わない。歴史改変で彼を消そうとすらする。それがオーマジオウの世界に生きる民の気持ちなら、やはりサイテーサイアクということになると思う。
けど今回、彼=ソウゴであることが決定づけられました。オーマジオウ誕生の経緯を見てみればやはりソウゴに邪悪な意図は無い。
平成ライダーの歴史、つまり「過去」への敬愛があったと思います。
つまるところ、スウォルツ意外は擁護できる要素があるっていうか。尊重すべき点が存在しているんですよね。その差かな。
そしてこれは平成ライダーの歴史への向き合い方にそのまま当てはめることができます。過去のライダー作品の美しさにばかり囚われていては新しいもの、つまり未来は作れない。けど過去の作品を冒涜することは違う。
ジオウは全ての平成ライダーの歴史を過去として背負い立った存在。だからこそ過去とどう向き合っていくのべきなのか、その決意を示したかった。ジオウの戦いとはそういったことの暗喩だったのかなと考えます。
言うなれば、平成ライダーの歴史を背負うという行為そのものと戦っていたとも言えるのかなと。
- ジオウの勝利
テレビ本編においてのそれはオーマジオウと和解することだと思う。
過去がなければ今はない。今がなければ未来もない。だから、未来を作るには今と過去が分かり合わなければならない。ジオウは歴史の先端に立つ者としてそれを成し遂げる責任があった。それを完遂させることがジオウの勝利だったのだと考えます
オーマジオウとソウゴの関係っていうのはなんとも奇妙でした。ソウゴは彼を敵視しますが、彼はソウゴを守り導いてもきた。劇場版なんかが代表例ですね。
今回ソウゴがオーマジオウになることで互いに気持ちを分かり合うことができた。で、相手に対しての認識も同じになったと思うんです。つまり自分が「今」で相手が「過去」の象徴だ、という認識。ソウゴからすれば彼は「過去」に囚われた人。オーマジオウからすればソウゴは「過去」の自分。だから相手から受け取るものが「過去」からの気づきということになる。これが構図として美しいなあって思って。
「時計の針はさ。未来にしか進まない。グルっと一周して元に戻ったように見えても、未来に進んでるんだ」
「面白かったぞ。お前に会えて。若きの……私よ」
ソウゴは「過去」に囚われた自分自身に触れ、それでもと提案を投げかける。
オーマジオウは「過去」の自分から新しい気づきと未来を得る。
これがなんとも痛快で。言わばこれは、ずっとやられっぱなしだったソウゴからのカウンターパンチ。でもそこには挑発も侮蔑もなく、優しい赦しがある。
過去と今が時計の針みたいにピッタリ重なって、50年の孤独が終わり、仲間との新しい未来が始まっていく。その行き先は「まだ分からない」
どこかヘンテコなんだけど、でもドラマチックで壮大な、過去と今の和解劇がここに完成している。そこに時をテーマにすることの意義を感じた。それを確かめられたのがたまらなく嬉しかった。
ウールとオーラについても同様だ。
ソウゴは王には「もう王にはなれんぞ」と告げられても、それでも「いける気がする」
ウールとオーラがその根拠だと思う。あの二人は見ようによっては最後ソウゴの家臣になったとも言える。たった二人かもしれないけど、でも確かにソウゴからの輪は広がっている。小さくともそれは王の歩みだ。だから僕もいける気がするのだ。
過去に囚われたものと歩み寄ること。赦しを交わし、新しい未来を作っていくこと。それがソウゴにとっての勝利の意味だ。
あのラストをもって、仮面ライダージオウは勝利を掴み取ったのだと思う。
- アポカリプス
「新しい旅が始められそうだ」
士の短いセリフですが、これがすごい面白いと感じて。始められそうって可能形じゃないですか。逆に言えばこれまで新しい旅に出れなかったってことだと思って。
思えば、ジオウのレジェンド客演は中々トリッキーでした。こういうアニバーサリー作品で盛り上がる展開といえば共闘と相場が決まってますが、ジオウはそれを避けて来た。序盤はそもそもレジェンドを変身させない展開も目立ちました。共闘はディケイドですでにやったから避けたというのが第一にあるとは思いますが、また別に理由があると思って。共闘による盛り上がりよりも優先すべきものがジオウにはあったのではと。
僕はそれはレジェンドの新しい未来を描くこと。無限の未来への始点を作ることだったと考えています。
レジェンドたちの未来はそれぞれの本編最終回の先にしか無い。いわば物語の囚人。未来への道筋が限られてしまっている。
その限られた未来こそが美しい。往年のファンはそう思うけど、でもその美しさを讃えるだけじゃ未来は作れない。たとえ本編のそれほど美しくなくなってしまったとしても、新しい未来への分岐点を作らなければならない。なぜなら、そうしなければレジェンドたちは新しい旅に出れないからだ。彼らは平成の時代を駆け抜けたけど、でも彼らの物語の結末ははるか未来へ続いていく。囚人なんかじゃない。
それを示すために、ジオウはレジェンドたちから物語という枷を外さなければならなかった。それがジオウに課せられた使命だったんじゃないかと思う。
特にブレイド編は顕著でした。バトルファイトは終わらないからこそブレイドの物語のエンディングとして美しいんじゃないか。そう思う気持ちは無くもないです。
でもバトルファイトが終わらないということは剣崎と始の未来を制限する。制限されているからこその美しさはあるんだけど、でもジオウはその制限を取っ払わなければならなかった。だからああいった展開になった。ブレイド本編の最終回から続く未来とは全く違う未来へ向かっていくことになった。ブレイドの物語にそういった可能性を与えること、それがジオウの本懐だったと思うのだ。
だが最後、結局世界はバラバラに分かれる。そのあと歴史がどうなったのかは分からない。結局のところ、ジオウ本編で描かれた物語も消えてしまったかもしれない。
ジオウがやりたかったことっていうのは、ジオウ含め平成ライダーの物語全てを「どんな未来が待っているかはまだ分からない」にすることだと思う。
平成ライダーはひとまとめになんかならない。各々勝手に未来へ巣立っていけと。
それが平成ライダーへの最後の審判、アポカリプスなんだと思う。
長々と言ってきたけど、結局のところこの最終回っていうのは超いい加減な平成ライダー卒業式だと思う。めちゃくちゃだけど、でもそれがまた平成ライダーらしい。そんな彼らの旅立ちを、僕も祝いたいと思った。
……ま、すぐ後でまたしれっと出てきそうですが(笑)
- 最後に
お付き合いいただきありがとうございました。
普段の感想記事では各キャラへの雑感とかも書いています(この時このキャラはこういう心境だったのでは!ここが熱い!みたいなやつ)
そっちもめちゃくちゃ書きたかったんですけど、今回はジオウのテーマ性の方を書きたかったので入らず。なのでそちらはまた別の記事として書いていこうと思います。今回ほど長くなく、シンプルな感じにするつもりです。
また、ゼロワンの感想も書いていこうと思います。ジオウの感想記事が途切れた反省を活かしてやっていくつもりです。具体的に言えば、文字数を減らしてスマートに行きたいなと。
では、今回はこんな感じで。
改めて、ここまでお読みいただきありがとうございました〜!!
仮面ライダージオウ44話 アナザーワールド編 感想 [仮面ライダーアクア、ここに見参!]
どうもです。ジオウ感想やってきます。
今回は、アクア編ってことでも良いと思ったけど、45話を見るとアナザーワールドというのがテーマのように思われたので、アナザーワールド編ということでやってきます。
- ソウゴ
「クジゴジ堂を家だと思っていいんだよ」
ここはカッコよかった。ウールとのやり取りが良かったなあと。
居場所を見出すということが今のウールにとっての一番の救いだと思うから、上のセリフが来た時は僕もジーンと来たし、そこから「おじさんを手伝うことだ!」にすかさず移るのもまた良いなと。ユーモアで締めてるからくどくないんですよね。ソウゴのこういうところが好きだなあって。
そこで当然のように後をつけて来てるゲイツで「ヒェッ……」ってなったけど(笑)
なんか、作劇のテンポ良くするにはストーカーの一人や二人は自然発生するもんなんだなぁと思いました(小並感)
「蟻の一穴、という言葉もある」
な、なんか、頭良さそうなこと言ってやがる……!
下山さん(脚本)も、ずっと本編のホン書いてなかったから何かに飢えていたのかもしれない。ていうか振り返ると下山さんが書かない期間けっこう長かったな。
下山さん的にはゲイツは博学キャラなのかなと。エグゼイド編ではドイツ語の知識も披露してたし。この描写で思うのは、オーマジオウの支配が本格化する前(例えば幼年期)の彼は好奇心と希望に溢れた子供だったのかもしれないということ。そう思うと「オーマジオウ、ぜってぇ許さねぇ!」というゲイツの根本スタンスの強度も増してくるのかなと。ま、深読み感あるのは自覚してますが笑
でもオーマジオウの真意もまだ分からないから〜(以下ループ)
今回はゲイツにとってかなり大きな転機ですね。
僕もグランドジオウが出た辺りで「ツクヨミはスウォルツの一件があるけど、ゲイツに関してはもう未来に帰った方がいいのでは?」と思ってたので、今回そこに突っ込まれたのは嬉しかった。
ゲイツがソウゴにしてあげられることは何か。それが今後の一つのテーマになっていくのかなと感じます。
最後は「それは俺がソウゴの側にいてやることだ!家臣と呼ばれるのは癪だがな!」みたいなノリでトリニティになってラスボス撃破!になるのではないか、なればいいなと、個人的な予想も置いておきます(笑)
「俺とこいつらがどれだけ敵対してたか忘れたのか!?」
ごめん……忘れかけてた……!!
とにかくスウォルツが悪いって感じになってたけど、思い返してみればウールオーラからも酷いことはされてたなと。
僕はウールオーラは笑いながら見守ってたので、そういえば!って感じでした(笑)
上では「ストーカーw」と茶化したけど、ソウゴとウールのやり取りをゲイツが聞いているというのはやっぱり良いシチュエーションだな〜と。タイムジャッカーって冷静に考えてよく分からない存在なんだけど、ゲイツやツクヨミと比較する形をとることで端的にその性質を突いている。こういう描写の仕方は粋というか、オシャレだなぁと思うんですね。
- 湊ミハル
まさかの!!!再登場!!!!!!
これはすごいことですよ!!映画のみの登場にも関わらず!!未来のライダーという概念がジオウのストーリーに偶然嵌ったんだと思います。つまりこれは奇跡ですよ!!ミラクルですよー!!!オリキャス!!!荒井!!!敦史!!!荒井敦史!!!!!
ていうかスーツまだ生きてたんかワレェ!!!
喋り方をはじめとした演技も決まってましたねー。あのちょっと自信なさげな喋り方はもうアクアですよ。でも言うべきことはバシッと言う辺り成長を感じるといいますか。メガマックスでの成長が活きてるのかなと。
アクアの戦闘演出も良い! 昭和リスペクト感がありながらも、水バシャバシャで派手にドーン!!ライダーのあらゆる美点が詰め込まれている。夏にこそ見たい美麗戦闘ここに在りー。
とまぁ、演出とかはすごく良いなと思うんですけど、話としてはミハルに対して少し不信感あるかな。事情に詳しすぎるんですよね。自分の思うようにコントロールしてるようにも見える。考え過ぎかもしれないけど、ちょっとキナ臭いかもとは思うんですね。
どういう立場の人なのかがよく分からないからってのもあるかな。とはいえライダー番組としての「仮面ライダーアクア」は設定そんなに固めてないと思うから、その辺はあまり断言できないってのはあるのかも。今後も展開があるかもしれないし。
アクアの戦闘も荒井氏の演技も良かったと思います。ミハルの動向については今後ですね。
- スウォルツ
降臨!!アナザーディケイド!!!
んほぉ〜良いデザインッ!! 嫌いじゃないわっ!! 顔に刺さってるアレの数も増えてるー!!だからなんだと言われればそれまでだけどー!!
アナザーライダーのデザインで良いなと思うのは歯なんですよね。アレがあるだけでシンプルに怖い。本家ライダーたちのロボット的なかっこよさを少ない追加要素で外してくるのが良いデザインだなと改めて。
「俺が手を下すまでもない」
ぐ、グランドジオウさん‥‥!
ゲイツリバイブよりは強いんだろうけど‥‥。ジオウは敵の強さが極端だから、作中の立ち位置的にはゲイツリバイブと大差ない感じになっているような‥‥。
頑張れ、グランドジオウ!
そして召喚されるダークライだーたち。
僕はやっぱりG4で「おっ!」って思った。まだスーツ生きとったんか(以下略)
やっぱかっこいい。
願望だけど、ソーサラーはデザインがかなり好きだからこういう時にもっと出て欲しいなと思う。あ、でもカラーリングがグランドジオウとモロ被りしてるか‥‥。じゃあ今後で!
「喰らえ、自衛隊ミサイルー! 爆発!!次回に続く!!!」
これぞライダーのヒキ!全平成ライダーの力を受け継いだグランドジオウもぶっ飛ばせる。そう、アギトの自衛隊ならね。
- 世界の破壊者さん
みんなアクアの話ばっかしやがって!俺だってスペシャルゲスト枠なんだぞ!!!(士はこんなこと言わない)
もはや準レギュラー枠として定着した感あるディケイドさんの話です。
ディケイドの力が奪われたのに「問題ない」って返すのは、うーん、めっちゃジオウのレジェンド〜って思うんですよね(意味不明
ジオウはディケイドと差別する上で「レジェンドとの共闘をパターンから外す」「レジェンドにはライダーの力とは別の強さが」というのを掲げてると感じていて。
だからこの終盤で、上で挙げたテーマそのままのことを士が直で言うのが、ジオウの物語中に出現したディケイドの台詞として良いなと思うんです。ちょっとメタいからこそ、それはディケイドが言うのが相応しい。そしてそれを言えることが、「だいたいわかった」ということなんだと。
士の活躍はここからだと思いますが、今回の会話の時点でもうカッコよかったなあと。
まぁ僕はディケイド沼にハマった人間なんで、士に関してはちょっと冷静さに欠けてると思うんですけどw。「それは考えすぎだろ!」って言われるとそうなんですが、とりあえずこれが率直に思うことです。
- そして次回!
「さぁ、地獄を楽しみな!!」
え、えええエターナル!?エターナルなんで!?ていうか予告の開幕でいきなりだから!心臓に悪すぎだからー!!
これは次回も見逃せねぇ!!そう思わざるを得ませんね!!
というわけで、今回はこの辺で!
次回の感想はもう瞬殺で!速攻でやってこうと思いますので、よろしくお願いします!
では、ありがとうございましたー!!
劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer 感想 [これぞ平成ライダーの!] 狂宴 [ユニバース・フェスティバルや〜!!]
タイトルの通りジオウの映画を見てきたので感想やっていきます!
ネタバレ注意です!
平成ライダー最終章と銘打たれた本作。平成という時代を、どう描いたのか!?
パーリー!!!
パーリー!!!!!!
P.A.R.T.Y.!!!!!!!!!!!!
〜〜♪〜〜
という感じでした(意味分からん)
とどのつまり、最高最善の映画になったよ!ってことですね(フォーエバーの時も言ったなこれ)
- はじめに
本作は「平成の終わり」を描くというテーマはフォーエバーと共通してましたがアプローチが違いました。
フォーエバーが「ライダーという概念のかっこよさ」を描くなら、本作は「ライダー作品の楽しさ」を描いていたと思います。
平成が不揃いで醜い時代だったと言われれば正直反論はできない。けど一瞬一瞬を懸命に生きたんだと叫ぶソウゴがいて、蘇るライダー達がいて、それを応援する自分がそこにいる。理屈じゃない熱さがある。
そしてライダーは必ず勝つ。悲しいことがあってもその先にミラクルが起こる。
「不揃いでもそれが楽しかった」「その楽しさの先にある未来に生きたい」
そういった願いを持つソウゴが勝利すること、ハッピーエンドを迎えること。それが平成という時代への答え。平成を駆け抜けた人々への頷きっていうか。福音のようなものだったんだと。そう思います。
平成が良い時代かどうかは分からない。けど平成に生きていて良かった。そう感じさせる映画でした。
………
……
…
でも、良い話じゃあ終わらないのが平成ライダーの悪どいところで(笑)
ゲイツツクヨミウォズとしんみり別れたにも関わらず、復活までの過程の描写はあえて全カット!説明なし!この開き直りよう!
「こ、こいつ〜!!」って思わざるを得ないです(笑)
それになんですかあのフィニッシュは!ロゴキック!「平成」!「ば、バカなー!」ドーン!クソ映画でしょこんなん(笑)
でもそれが良い! 平成ライダーが始め、そして広げてきた「楽しさ」。その良いところも悪いところも全部そこにある。だから一周回って誠実に見える。そこには嘘が無い、等身大の平成ライダーがあるから。背伸びも萎縮もなくあるがまま。僕が愛した平成ライダーがそこにあることが、僕は何よりも嬉しかったし誇らしかった。これこそが平成ライダーなんだって。
‥‥まぁーそれでもね、キメシーンで元号発表パロやるような映画に感動したなんて言いたくないですけどね(笑)
でも感動しちゃった。それも含めて平成ライダー。それが作り手のプライドで、それを愛してきた20年間だった。それがそのまま、こうしてちゃんと終わることができたんだって。
This is the 平成ライダー。平成ライダー最終章、たしかに見届けたっ!って感じの清々しい気分です。
以下、各キャラについて。
- ウールとオーラ
出てねーよ!!!!!!!!!!!
- ソウゴ
「ゲイツたちと会えたから。ゲイツたちがいる未来に俺も生きたいと思ったから」
なぜ歴史を変えようとしない?という問いへの答えがこんな感じでした。言葉はちょっと違うかもですが。
これがもう最高で。僕がラスボスなら「これが……絆の力か‥‥!」「お前に負けるなら悔いはないさ」ってなるところ(意味不)
ここが一番ジーンと来たなあ。ゲイツたちがソウゴの道標なんだってね。それを直で伝えてきたんですよ。ダイレクトアタックですよ。こんなのやられたらもうね、もうね……!
ジオウ本編の積み重ねがズーンと来る!これは真の最終回やってるなあと。それだけのカタルシスがありました!
いやー、ジオウ好きで良かったー!!
「不揃いで何が悪い!」
ソウゴのセリフがね、超熱かったんですよ今回の映画は。
なんでかって言ったら、それはソウゴが今回で脱皮したからだと思う。生まれながらの王ではなかったという事実を知って。でもそこから立ち上がれた(ノリタケさんに励まされっていうのが笑えるような泣けるようなで反応に困るけど)
だから一皮剥けて。王じゃない、ただの平成を生きた人間のありのままの言葉として、彼の叫びが響いたのだと。
オーマフォームが登場しましたが、アレもジオウの進化ルートの一つの答えとして良かったなあと感じます。オーマフォームは「王の目覚め」なのかなって。
グランドジオウが「平成ライダーの記念碑」だとするならば、平成の歴史に意味がなくなればグランドジオウもその力を失う。だから本作の戦いにおいては「平成ライダーの歴史を背負う」以外のものがソウゴには必要だった。
ソウゴは今回未来の自分(これがイマイチ不明瞭ではあるんだけど)から気づきを得る形で、グランドの「記念碑的な姿」とは違う形の進化に到達できた。そしてそれは最初の志からのもの。この進化が変化球でありながら王道で、僕の中の少年心に突き刺さるものがあって。
これが「真の最終回」足り得る意味なのかなと、そう思いました。
映画から少し離れた話ですが。ソウゴの進化ルートについて考えると。あとあるのは「仲間との絆」かなあと思うんですね。
テレビ最終回で中間フォームが締め!というのは結構増えてきたパターンで。で、ゲイツツクヨミウォズとの絆が最も描かれてる媒体もテレビで。
だからジオウテレビ最終回のフィニッシュはトリニティなのではと。今回オーマフォームについて考える中でそう思いました。
違ったら木の下に埋めってもらっても構わないよ!!!
映画に戻ります。
両親との記憶で最初の気持ちを思い出すっていうのがすごく良かったんだけど、でもそれはオーマジオウによるものなんですよね。
オーマジオウは本編だと敵みたいになってるけど、それもキナ臭いところで。結果として見れば今回助けてくれた感じですしね。今回でオーマジオウに関しての謎はちょっと深まったかなと思います。
この映画に限った話じゃないですが、ソウゴ役の奥野壮さんは本当に楽しそうに演技しますよね。
信長とソウゴの絡みがすごい好きで。思うがまま、どこまでも「楽しい」に向かうその健全な生き様っていうか。あれがジオウの物語の縮図だと思う。で、それが良いのは奥野さんの演技によるところが大きいなと思って。見てるこっちまで楽しくなっちゃう明るさで。
彼自身のキャラクターもソウゴのそれとかなり近いと思うし。それは話を作る側が合わせたのかもしれないけど、そこが合致してるから感情が真っ直ぐ伝わってくるんですよね。初期の頃から安心して見れたし、良い演技をしてらっしゃるなあと。そう改めて思いましたね。
- ウォズ
祝え!ウォズが最高最善の家臣となった瞬間を!!
今回はもうウォズが裏主人公といっても過言はない。
クォーツァーの一員だったということが明らかになったわけで。ウォズの役割と彼の序盤の言動はもうピッタシで、めちゃくちゃ腑に落ちましたね。
でも感情はどうなんだっていう話で。EDを見ててふと思っただけなんですけど、白ウォズが消えたあの時、「今この時が新たなオーマの日になった」って言ってたじゃないですか。ウォズがクォーツァーとしての役割を放棄する決断をすること、ソウゴを我が魔王とすることに契機というものがあったなら、もしかしたらあそこだったのかなって。まぁ根拠は別に無く思っただけなので聞き流してください(笑)
「ゲイツくん。私と君は似た者同士のようだ」
「そう言っただろ」
やばい、最高すぎるだろ……! BD1万枚予約したわ(売ってない)
心は一つだったということで。
あとあれですね、やっぱりウォズとゲイツが戦ったらウォズに軍配なんだなってのが分かりましたね。ギンガファイナリーの方が後ですしね。何気に新事実でした。
ウォズはフューチャーリングシノビが好きなので、本物忍者と戦ったのはもう最高でした。マフラーがやっぱりアクション映えしますね〜。映画なのも助けて忍法演出もすごい良くて。消え現れまた消える。この戦い方がじっくり描かれていた。
「平成ライダーは一冊の本などには収まらない!」
「この私も平成ライダーなのだから」
「私が案内できるのはここまでです」
序盤のメタ発言もテレビ本編での視聴者への語りかけも、全てはこの瞬間のため。
彼もまた平成ライダーの一人だった。与えられた役割の殻を超えて無限の未来へと進んでいく。ウォズの物語はここから始まる。仮面ライダーの真髄。これがやっぱかっこいいなって。
ソウゴに勝利をもたらそうとする姿もとても健気で、一皮剥けたんだなと感じましたね。その直後に刺されてしまって。あそこの悲しさと来たらね(まぁしれっと生きてるんだけどな!)
「大丈夫だ。完全に溶け込んでいる」
無理!無無無無理!!無理無理無理無理!!!!
それはさすがに無理だって!ウォッチ丸見えじゃん!首のあれ健在じゃん! ちょんまげもなんか違うじゃん!
え、ギャグシーンなの?って思ったけど特に突っ込まれなかったし「そうだね」って感じの空気だったのが軽く恐怖だった。カブト思い出しました。まぁあれはもっと意味わかんないけど。
「影武者?俺が!?ふざけるな!」
→「信長がいなければこの戦負けるぞ!仕方ない!」
切り替えはえー!!
「俺とお前は同じだ!俺たちはジオウに惹かれた!」
ウォズの項でも触れましたがやっぱりここが熱かった。ウォズが帰ってきた時も、「知ってた」って感じなのが最高ですね。ウォズがウォッチ奪っていかなかった時点でわかってたんだろうけど。
「ありがとう……ソウゴ」
デレたああああ!!!ソウゴって呼んだああああ!!!うあああああ!!!!!
……からのしれっと復活ぅ!
ちくしょう、どれだけ俺の気持ちを揺さぶれば気がすむんだ!もはや詐欺だろ!
美味しい部分だけ掬いやがってえ〜!って感じですね(笑)
あの「ゲイツたちと出会えたから〜」っていうソウゴのセリフ。あれをゲイツたちが消えてる間にやっとくのも、感動しつつ、タチわりーなーって感じで(笑)
復活までの間に可能な限りエモポイント使い切っとこうぜ!って感じで(笑)
でもそれが良いんですなー。
- 俺たちはDA PUM、ごほん、クォーツァーです
常盤SOUGO率いるクォーツァー。うまく言えないけどISSAがSOUGOなのめちゃくちゃしっくり来る。
組織の実際については多くは語られなく。ここもライダーの敵、特に映画の敵って感じですね。
はっきり言うと平成アンチっていうか。そんな彼らがRXとかJの力で戦ってるのがなかなかすげーことやってるなって感じで。RXとかJも平成に作られた作品なのに平成ライダーに入ってないっていう、結構ごもっともな怒りがあって。戦術も巨大化とバイオの合体とかやってて、昔ながらのファンの妄想のまさかの具現化が見れました(そしてそれを勢いでやっつけちゃう平成ライダーズ)
あの元号パロはもう笑っちゃいましたね。何が「バカな……!」だよこっちがバカな……!って言いてーよって感じで。内容が内容だから口が悪くなっている。
キックかまされてから平成の字を確認するまでにちょっと間があるのもシュール。字の確認が済んでから「バカな……!」ってなるから、あれだとキックでやられたことより平成って書かれたことにビックリしてるみたいで。
ロゴキックなんかもう笑うしかない。夏映画を見ていたら春映画を見ていた。そんな感覚。やはり幻術か。
SOUGOは嫌な王様だった。要するに自分が犯す危険を全部ソウゴにやらせた上で最後だけ出てきて思うがままにすると。嫌だけど効率的で、これも一つの王の形ですね。あれが本当の常盤SOUGOっていうのは結構ストンと胸に落ちる部分あります。
でもやっぱり自分の体も張ってみなきゃ。狡猾なだけじゃ人の心はついてこない。だから剛の「ウォッチを渡したのはお前だからだ!」が良いんです。ソウゴは心の力で戦って、そして勝った。だから僕も心が動いた。
ソウゴの敵としてとても良いキャラだったと思います。ISSAの演技もよかったなあ。やっぱり声が良いし、短いセリフの中に内容が詰まってるんですよね。これは脚本もよかったんだなあ。
この役がDA PUMPだったのも良かった。あのグループも色々あったけど、555から時を超えて、平成最後の祭りに駆けつけた。それだけでもうそこに義があるというか、そういうのに弱くってね。この辺なんかも本当にこの映画は狡猾だった(笑)
主題歌も最高だった。当記事でもタイトルはじめ多くの部分に引用させていただきました。それは僕が言いたいことがこの歌に詰まってると思ったからで。ミラクルも起き放題、楽しまなきゃもったいない、世界が繋がるのは偶然なんかじゃない。
漫画舞台配信ライダー、挙げ句の果てには仮面ノリダー! 平成が生み出したあらゆる全てを受け入れ、飲み干し、最高の祭りを繰り広げる。このカオスな宴の様を端的に表す言葉があるなら、それこそが「ユニバース・フェスティバル」。そしてそれも平成の時代への答えなのだと。
この祭りのEDを歌うのに相応しい、最高のテーマソングでした。
いやー、予告映像でこの歌流れ出した時の戦慄が遠い昔のことみたいで。蛍光色で歌詞が表示されるののダサさときたらね。「こんなもん約束されし敗北のクソ映画やんけ!」と失礼ながら、別に失礼でもないか、思いましたからね。今あれ見るとまた面白い。
ザモナスが初めて出てきた時は「鷹山さん?」って素で思った。アマゾンズが元ネタということで、意識的に寄せていたようですね。かなり驚きましたね。
ゾンジスも良いやられ役でした(笑)
パパイヤ鈴木さんのコッテコテの昭和ライダーっぽい演技が良かったと思いました。結果として平成アンチっぽいっていうか、完全なる小物に収まっていて。
- ドライブ
クリムがドライブウォッチ渡してくることのしっくり来る感がすごい。あの人もまたドライブですもんね。
チェイスについて触れられたのも良いですね〜。剛はその未来に向かって走り続けてるんだって改めて感じれて。
ただ正直なところ思うのは、なんか後半のジオウの話が凄すぎてぶっちゃけ印象薄いかなーっていうか。ドライブの描写に否があるとは思わないけど、ちょっとジオウ本筋の部分が凄すぎて、これでドライブ編完了!って感じがそんなしないんですよね。
剛が「ウォッチを渡したのはお前だからだ!」ってのも、セリフ自体は良いと思いつつ、剛とソウゴってそんなに絡んでなくないかとちょっと思ってしまったし。
テレビ本編にアナザードライブ出たりしてるので、そっちでも展開が欲しいなあとはちょっと思ったかなー。
- 牛三
「大永生まれだったから平気でござる!」
その前に平成生まれのものを吸い込むゲートってなんだよ!!!!!!!!!!
え、平成をやり直すってそんな物理的な話だったの?
ていうか吸い込まれた人たちってどうなったんだろう。ウォズがゲートになんかしてたから途中で閉じたのだろうか。
ていうかなんで剛に背負われてたのかがよく分からなかった。分かる方いたら教えて欲しいです。
このシーン自体はトンチが効いてて爽快だった。牛三はムードメイカーだったっていうか。今回の映画の「細かいことはいいんだよ!」っていう空気の構成に一役買っていたのかなって。
「屏風映えするでござるな〜!!」
言ってる場合か……お前も戦え……って神崎士郎が。
まぁそういう係の人は戦わないっていうのが本当のところなのかもしれないけど。ていうか画力すごくない?
「ゲイツ殿に惚れたでござる!」
牛三がゲイツについていったとわかった時の信長が唯一イメージ通りの信長やってたと思った。かっこいい。
最終的に牛三はどうなったんだろう。そこを描かないのはどうかなーって思ったけど、牛三についてガチャガチャやるのは映画のまとまりを損なうし、まぁいいのかな。
なんだかんだ元鞘に戻ったんじゃないかなーとは思います。
- サプライズゲストたち
ノリタケさんが牢屋にぶち込まれてるの、冷静に考えて酷くない?
これは作中の話としても、制作視点の話としても。バラエティ番組でパロったのに対してのこの仕打ちってのが、なんか面白く感じてしまうんですよね。
うまく言えないけど、このペナルティーがやたら重いっていうのが、バラエティ的に言えば「オイシイ」ってことなのかなって。それが笑いを誘うロジックなんじゃないかと。
でも「お前なんか醜さの象徴だ!牢屋にでも入ってろ!」ってのはクォーツァーのスタンスの提示にもちゃんとなっていて。だから木梨猛のエールでソウゴが立ち上がるっていうのが話の流れとして成立しちゃう。セリフも熱いし。でも絵面も元ネタもあれだから笑ってしまうのもあって。
こうやって感情をぐちゃぐちゃにしてくる。てんやわんやな感じ。これが本当にユニバース・フェスティバルだなって。
最高の客演だったなと思います。
「見ててください一条さん。俺の変身!」
ここが一番ビックリしたあ‥‥!漫画まで出るとは、これがユニバース(以下略)
漫画演出と実写演出の融合が素晴らしかった。ライダーキックのところなんか見事と言うしかない。横向きでバイクで走って背景だけ流れるのはめちゃくちゃシュールだったけど(笑)
斬月にブレンにGにゴライダーも登場。うーん、ユニバース・フェスティバル。
沢芽市が出てきたのは良いファンサービス。ありがたく受け取れぇ!(某Ⅳ)
サプライズってほどじゃないけど、EDの中で乾巧をはじめとしたジオウ出演時のレジェンド勢が映るのがすごい嬉しかったな。
これも乾巧って奴の(うるせぇ)
- 最後に
「真の最終回」という謳い文句でもあった本作。龍騎ディケイドエグゼイドでも似たような映画宣伝で、ディケイドエグゼイドのそれに対しては思うところもあって。特にエグゼイドはもう清々しいまでの虚偽宣伝だと思うんだよなぁ(笑)
本作はテレビの本筋の謎も残しつつ、ウォズとの間にあったしこりみたいなものを取っ払い、ジオウ最高潮のドラマを作り上げた。事実の整理はまだだけど、感情のクライマックスは作っていた。そういう意味で言えば本作は「真の最終回」たり得たのかなと。
映画の話はこれで終わりですが、今回記事書いてて思ったのは「やだ、私の記事長すぎ……?」ってこと。その時感じたことをそのまま書いてるんだけど、こういう直情型っていうのかな、そういうのって結局のところ偶然の産物なんですよね。そして偶然に継続の力は無い。だからブログでもなんでも、自分が作るものを強くするにはロジックが必要なのかなと思うんです。
とは言え無いものは無いので、今はこういう感じで。徐々にそういう理論も身につけていけたらなと思います。
- そういえば
鳴滝「俺出てねぇやんけぇ!!!」
せーの!
「おのれディケイドぉー!!!」
えー、適当にオチもつけたところで(苦笑)無理やりながら終わっておきます。
こんな長い記事にお付き合いいただき、本当に感謝です。皆さんの思考活動の一助になれば幸いです!
では、ありがとうございましたー!!
[毎週更新とは限らない!ジオウ感想はこちら!]
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仮面ライダージオウ41〜43話 アナザージオウII編 感想 [会えて嬉しいよ、士]
更新かなり遅れましたが感想やってきます。
ジオウにちょいちょい顔を出していたディケイド組。
今回本格参戦って感じでしたが、どうだったのか!?
「通りすがりの仮面ライダーだ、覚えておけ」
「会えて嬉しいよ、士」(いきなり襲いながら)
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ファイナルアタックライドォ!!!!!!!ディディディディケーイドォォォ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
って感じでした。ディケイド組の描写がめっちゃディディディディケイドだったと思います。アナザージオウII編の方が章の名前として妥当なのでそうタイトルにしましたが、自分にとっては実質ディケイド編って感じでした。
- 海東
ディケイドきっての問題児が今回もやらかしました(笑)
途中はスウォルツに洗脳でもされたのかと心配しましたがそんなこともなさそうで。
ウールオーラとのくだりは最高ですね。あそこでグランドジオウウォッチを渡すの最高に意味不明なんだけど意味不明なのが海東なので。あそこで理由を特につけない辺りが上手いなぁと。スウォルツの指示は聞きたくないけど仕事はさせてもらうとかも、も〜最低すぎて最高って感じ。
「あれ、それって言っちゃマズイことだった?」
て、て、テメェこのやろ〜〜! ここもうーん、好き。
アナザージオウIIウォッチの奪い方が豪快すぎるのも笑った。お前インビジブルはどうしたんだ。銃でウォッチ吹っ飛ばして〜っていうのはちゃんと銃ライダーやってて好きですけどね。僕銃ライダー好きなので。
結局ウォッチは手に入れる辺りちゃっかりしてますね。海東ってお宝を取り逃がすことほとんど無いですからね。何気にすごい。どうやって保管してるんだろう。
うーん、ディケイドに負けたのはなぁ〜。ちょっとどうだろうな〜。あんまり深く考えない方が良いかな。
僕の好みだけ言っとくと、互いがファイナルアタックして相殺、互いが満身創痍のところスウォルツが〜って方が好きかな。あの二人のファイナルアタックがぶつかり合うことって無かったので、それはけっこう見たかった。
最後のソウゴたちへの「またね」も最高っすね。誰が言ってんだよ!って感じで。
海東の言動に一喜一憂してた頃を思い出した。脚本は毛利氏ってことでディケイドには未参加の方だったと思いますが、キャラ再現は素晴らしかったと思います。
- 士
ついに海東と遭遇してしまった世界の破壊者。いきなり襲われても「何すんだよ!」とか「どうしたんだお前!?」とか言わないのが本当に解釈一致って感じ。
「まぁ海東だからな」。その境地。
海東と出会って早々に力とられちゃう辺りやはり海東は人間のクズ。
時止め無しの純粋なライダーバトルでは海東に勝ってたってことで、何気に初勝利。響鬼編で互角っぽく描かれてからはこの二人の実力差については触れられなくなりましたからね。
「通りすがりの仮面ライダーだ。覚えておけ」
来た!来ましたよ!!ついに解禁された必殺の決め台詞!!!
まぁ、全3話の章の真ん中で来たから「士さんちょっと早いっすよ!」とは思いましたが(笑) 半年くらい我慢してたからかな。
ジオウ復活からのジオウライダー一斉変身に混ざってるのは草でした。あそこでやっぱり新しいライダーの方が音声が派手で分かりやすいなってのは思った。カメンライド自体は好きな音だけど、やっぱ同時変身だと年代の違いが出るんだなぁと。ウィザード以降存在感ある音声で統一されてるのもこういうクロスオーバー展開を見据えた取り組みなのかなと思ったり。
「だいたいわかった」
「ほんとか!?説明しろ!」
「だいたいはだいたいだ」
笑いました。若干メタ発言っぽい感じするけど、毛利氏なのでまぁって感じ。あの人はこういうの多いですからね。地獄兄弟って言っちゃったりマゼンタに突っ込んだり。
だいたいわかったのくだりは会話として自然なので良いと思います。ただマゼンタのとこは補完計画見てない人かしたら「なんでソウゴはマゼンタって断言してるんだ?」って感じると思うんで、要らないかなーって感じ。
あ、補完計画見てない方向けに補足しておきます。補完計画というメインキャストが出演する動画があるんです。ジオウの設定や話の本編で語られない部分を扱います。それに士が出演した際、ソウゴたちに「ピンクじゃない、マゼンタだ」としつこく教え込むというくだりがあったんです。
それを踏まえればあの会話も分かるって感じです。
上でも言いましたがキャラ再現は素晴らしかったですね。次回以降もディケイド組は出てくるみたいなので楽しみです。
- 今回の話について
はっきり言って今回はジオウの話としてはダメだったと思います。前のアナザージオウ編(ゲイツリバイブが登場するやつ)の焼き直しでしかない上に加古川というキャラの魅力を大きく損なう内容だったと感じました。ストーリー上の動きとしてはツクヨミとディケイドの力が奪われたというのがありますが、これまでも奪うチャンスはあったので、じゃあ今回の話って意味が無いんじゃないのってことで。
僕は加古川ってキャラは嫌いじゃなくて。ていうか前のアナザージオウ編はすごい好きです。
加古川というキャラに課せられてた問題は2つあると思ってて。1つは「事実」を正しく認識できてない・知らないこと。2つめは「感情」の矛先が違うこと・その収束の仕方。要は「事実」と「感情」の問題をクリアするのがあのキャラの主旨っていうかゴールかなと。
視聴者視点で見ると「事実」についても「感情」についても間違いだらけだし主体性もアレだしとネガティブな要素が多いキャラですが、前回の時点では「事実」も「感情」も筋は通ってたんですよね。事実知らないのはしょうがないし、感情もソウゴに向くのはアレですがそれ自体は理解できます。
で、前回のアナザージオウ編でとりあえず「感情」の問題はクリアできたと思ってたんですよ。ソウゴが加古川に語りかけた言葉もこの上ないものだったと思えたし。
まぁそういうわけで、今回加古川がソウゴに対してまた「感情」を振りかざして挑戦してくるっていうのが、話の繋がりとしてどうなの?って感じで。やってることのステージが変わってない、進展が無いんですね。今回のソウゴと加古川の対話も前回と同レベルだから「またか…」っていう印象になるし面白くない。
「事実」の面でアプローチして対話のレベルを上げてっていうのが自然なんじゃないのかなと感じました。
また、今回の話のメインである時間の書き換わりなんですが、設定のフワフワ感が目について、うーんって感じ。突っ込みどころだらけなんだけど、突っ込んだところでこの話について今後触れられることもなさそうだし、もう考えるだけ不毛って感じで。とりあえずスウォルツの言う「強行な手段」の内容を明かさないのは不誠実だなあと思った。もう終盤なんだし、それぞれのキャラが持ってる手札の内容は明かしてもらわないと感情移入できないよと思う。
素のゲイツが普通にアナザーライダー倒すところで「あ、はい」って感じになっちゃったな。
ゲイツやウォズについてですが、彼らの帰結も予想できる通りで特に感じるものはなかった。ウォズとの敵対を映画でガッツリやるという前情報があったのもマイナスだったかな。映画のメイン展開と展開被ってるのはなぁ。
かなり手厳しく言ってしまいましたが一概に毛利氏を非難しているわけではないつもりです。メインライターじゃないのに終盤の派手な展開をやるってのは難しいところがあると思うし。設定についての情報も全部は知らされてないんじゃないかなとも思います。
今回の話に意味が無いとは言いましたが、意味が無いような話でも面白いように尺を繋げられるというのは脚本家として最高のスキルだと思うんですよ。
脚本家が手がける作品って大体原作があるじゃないですか。でも原作が必ずしも面白いとは限らない。その場合脚本家が自分の仕事を果たす上で必要なのは内容の面白さに左右されずに尺を繋ぐ能力だと思うんです。毛利氏はそこがとても上手いんですね。
原作の良さを汲み取る能力も必要なもので、その点でも、氏の作品の手厚いファンサービスを見てればそれが優れてるのも分かります。
つまるところ、氏の能力について疑ってるわけではないしそのすごさを理解できてるつもりではあるんだけど。なぜか毎回気に入らない部分があるっていうか。どこか感性っていうか考え方っていうか、そういう根っこの部分で僕と合わない脚本家の方だなあと改めて感じました。
他にも色々ありますがとりあえず特に重要な点は挙げれたので、この辺にしておきます。
- 最後に
いやー、かなり手厳しく言ってしまいましたね。嫌な気持ちにさせてしまったならすいません。
更新が遅れた理由の一つがこれです。極力ポジティブにいこうとは思ってるんですけど、自分に嘘ついて書くのは無いと思って。良い落としどころを探りつつ視聴してましたが、今回は流石に厳しかった。
ただこうして記事書いてみるとディケイド周りでの盛り上がりが蘇ってきたりもして。ブログって良いなとも思ったり。ディケイド周りの描写は本当にすごい良かったですよ……!
でも次回の44話はすごい楽しくて。だから奮起して書いた次第です。このまま最終回まで突っ走ろうと思ってるので、よろしくお願い……したいです(笑)
映画も観に行く予定です。感想記事も書くつもりです。
追記:書きました!よかったらよろしくです!
(劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer 感想 [これぞ平成ライダーの!] 狂宴 [ユニバース・フェスティバルや〜!!] - ヴァーチャルの熱血遊び日記)
というわけで今回はこの辺で。ありがとうございましたー!
[ジオウの記事はこちら!]
仮面ライダージオウ39&40話 電王編 感想 [ジオウに俺、参上!!]
どうもです。
かなり期間が空けての更新になってしまいました。
いつもはテンション高くやってますがあれもまぁまぁ労力を使うのと、今回はぶっちゃけ微妙な回だったと思ってるのもあり、今回はこのテンションのまま行こうと思います。ディケイドの話も少ししようかなと思います。
- 話
電王キャラが定番のくだりをやるシーンにしっかり尺が割かれており、ファンサービスはバッチリでした。ゼロノスと電王の戦闘シーンも充分に描かれてたと思います。
アナザー電王周りの設定に電王らしさが点在していたのも印象的でした。
ストーリーは結局お姉さんが亡くなってしまうという切ない後味。イマジン契約者の、「自分を憎むことで〜」のような優しさの描写。どこか電王らしさを感じるような要素で固められていたと思います。
イマジンたちの活躍も当然大きいです。彼らのノリはもう作品全体を乗っ取っちゃうくらいのパワーがあるので、電王感はいやがおうにも出るというものです。その辺はさすがイマジンズ!って感じでした。
アナザー電王も姉思いの弟で〜という良太郎オマージュ入ってるみたいな設定。そんな彼が自分自身を止めたいと決意するのは熱い展開だったと思います。
- 登場!グランドジオウ!!
グランドジオウの変身シーンは感動でしたね。
デザインについては、ゴテゴテ感がありつつ動けば気にならないという良いバランスだと感じます。顔が元とあんまり変わってないので、案外無難めなデザインなんじゃないかなとも思ったり。あと個人的な話ですがディケイド像が良い位置にあるのが嬉しい。
能力ですが、まぁディケイドコンプリートと大体同じって解釈で良いんじゃないかな。演出的には差別化はされてると思いますが。
ただ、最終形態の登場に相応しい盛り上がりが用意されてたかなと思うとそこは微妙かなあと。電王編の話がグランドジオウ誕生のエピソードとしてあまり適してるとは思えないんですね。アナザー電王は特別強いわけでもないし、ソウゴの内面成長とかを描く話でもないので。
また、本作はライダー作品の中でも敵がかなり弱めなのでパワーアップのカタルシスがかなり薄いです。現状オーバーキルです。オーマジオウ以上の強さがあるなら本筋の話を動かせますがそれも無いので、存在意義が弱いトリニティとあまり変わらない印象です。
とはいえデザインと能力は魅力的なので、今後の活躍に期待です。
- クロスオーバー作品における電王
なんで今回の話が個人的に面白くなかったについてです。ここからはわりと批判よりなので注意です。ジオウの今回の話というよりは電王の本編外の展開についてです。
電王は時間の管理をするという使命を帯びたライダーであり、本編では歴史に介入する・しようとする存在を「敵」とし戦ってきたライダーです。
で、ジオウのキャラ達がやってることも電王の「敵」とたいして変わらないんですよね。だからそういった方面の対立からのドラマを期待してたんですけど、その面では肩透かしでした。まぁモモが勝手に来たからオーナーが不在ってことで、その面に触れない理由づけはきちんとされてはいるのですが。
ディケイドの時もなんですけど、電王って掘り下げようが無いのか、クロスオーバーのうまみが薄いように感じて。
ディケイドは基本的に過去作の世界をリマジしてそのテーマ性を新しい形で描くって感じでその試みが好きでした。でも電王編だけは違って、リマジもされないし新しい形でも無くて、それが面白くなかった。個人的にはディケイドのワーストエピソード。
電王はお約束のキャラとかセリフとかがすごい固まってて、僕もそれは大好きなんです。電王本編の中においてはすごい良いことだと思ってます。ただクオリティが高い分、後でイジるところがあんまり無いってことなのかなと。
総合すると、電王に関しては、公式は掘り下げとか新しい楽しみ方の発見とかそういうことをやる技量あるいはやる気があんまり無いのかも、ってことを改めて感じてしまって。僕は仮面ライダーというコンテンツはそういう新しいものを見たくて愛好しているので、そこはとても残念でした。カブト編の直後だから特にそう感じてしまったかもしれませんが。
- 最後に
すいません、けっこう手厳しく言ってしまいました。電王は本編は好きなんですけど、いろいろ思うところがあったので。
とはいえ今回はディケイドの時に比べれば大分良い回だったとは思います。ジオウのキャラと電王のキャラの絡みもとても面白かったですし、モモゲイツもゼロノスもクライマックスもあるし。
というわけで、かなり遅れてしまいましたが電王編感想でした!
41〜43話は一つの記事にまとめて早急に投稿する予定です。
では、ありがとうございましたー!
[次話感想はこちら!]
[前話までの感想はこちら!]